それを言うには早すぎる


 秋の夜長は独り身には無情なほどに長すぎるものだ。

 読書の、スポーツの、芸術の、食欲の秋。晴れ渡る空に澄んだ空気。暑くもなければ寒すぎもしないこの季節、人々は様々なことに打ち込むというのが世の定説だ。冬将軍が勇ましい蹄の音を鳴らして行軍してくるその前に、短い間ではあるが、来る動くことさえ億劫になる日に披露する話の種を作るために、人は秋に思い出を収穫する。まるで冬ごもり前の動物がひたすらに食物を食べるように、人間は楽しい記憶をその体に蓄積しようとする。そのための時間が秋なのだ。
 行楽というのも、一般的な秋の楽しみ方の一つだ。色づく葉を眺めるもよし、春とは違うもっと暖かな香りをさせる花を楽しむもよし。麗らかな気温は出不精の人間の足さえうごかすものか、行楽地と呼ばれる場所は連日人だかりができるのもこの季節の特徴だろう。といっても昨今は退職後、体力と財力にあふれた人々で春夏秋冬どこもかしこも人があふれかえっているものではあるが、秋の風景にはそこに子供連れの親子が加わって、さらに賑やかになるのだ。
 その日、氷上格は市の中央に位置した公園を散歩していた。色づき始めた葉にひたすらカメラを向ける者や、芝生の上にシートを引いて転がっている人々を横目に、氷上はただ歩いていた。昔、それも遠い昔にはこの公園によく本を持ってやってきたものだ。穏やかな風と遊びながらふりつもる葉の下で、一日中文字を追いかけ続ける。時折子供の奇声にもにた歓声や、誰かが地面をかけていく音をBGMにすると、不思議とページが軽快に進んだ。
 一人でいることを寂しいと思うこともなく、それに寒さを感じてもいなかった。ある一時までは、どこに行くにも一人で事足りた。そうある一時までは。

 大学に入学した年の秋、氷上は初めてこの場所を連れと共に歩いた。恋人と共に、手をつなぐことは世間体を保つためにしなかったが、可能な限り寄り添って氷上は確かにこの道を、この広大な公園を、赤城という男と歩いていたのだ。
 出会ったのは高校時代。別々の学校に通いつつも生徒会活動を通して知り合った二人は、高校三年間のうち二年と半分を親密な友として過ごした。他の誰にもいえぬ悩み事を共有したり、人並みに休日に出かけたりもした。赤城は端正な顔立ちと持ち前のコミュニケーション能力で誰からも好かれる男だった。特に女子生徒からは人気があり、わざわざ氷上を誘わずとも土日に出かける相手を捜すことは難しくなかったはずだ。おそらく、誘いを断ることの方が困難なほどに、赤城はいわゆる人気者であった。
 けれども休みとなれば赤城は氷上を、氷上は赤城を誘って商店街からはばたき山まで各地を歩き回った。だがこの公園にだけは来なかった。敷地内にある美術館や博物館へはたびたび足を運んだが、公園を目的もなくぶらつくということは氷上にとってはあまり魅力的な案ではなかったし、赤城にとってもそうだろうと思っていた。
 穏やかで不変とも思われた二人の関係が変わったのは、大学一年目の夏だった。共に希望どおりの学部に入学し、ぎこちなくも大学生活に慣れてきたころだ。そのときの氷上は、他の誰に話せないことでも話せる赤城にさえ、正しくは赤城にだけは言えない悩みを抱えていた。赤城がそれを知っていたのかはわからないが、察しのいい男だったのでどこかで気がついていたのではないかと今になれば思える。だとしたら当時の自分はいかほど滑稽だったろうか。考えれば考えるほどみじめにしかならないが、それも今は昔の話だ。話の種にはちょうどいい類の思い出だ。もし、話す相手がいれば、ではあるが。
 さて氷上少年の悩み、それがいつからはじまったものかは定かでないが、簡単に説明するならば「報われぬ恋」というものであった。氷上は惚れていたのである。赤城一雪という同性相手に、親友だと思っていた相手に、いつの間にかそれ以上の気持ちを抱くようになっていた。おとぎ話にあこがれるよりたちの悪い冗談だと何度もあきらめようとしてあきらめがつかず、持て余した想いに押し殺されそうになったのが夏の終わりだった。
 酷暑だった夏は残暑も厳しく、暑さにはめっぽう弱い氷上は、今にも倒れてアスファルトの上でバターのように溶けてしまいそうになっていた。むしろ溶けてなくなってしまえばいいとさえ思うほどだった。にっちもさっちもいかない愚かな恋情も、男である自身の体も、どろどろに溶けてしまえばどれほど楽だろうかと連日照りつける勤勉な太陽の下で思っていたのだ。
 だがそんなある日、奇跡が起きたのだ。午後五時過ぎにやってきた夕立の下で氷上は赤城に愛を告げられた。ずっと想っていたと、何が赤城を駆り立てたのかは尋ねたこともないので知らないが、とつぜん赤城は言ったのだ。
 二人で大学内の図書館に行こうとしていたところ、ザアッっとまさに嵐の激しさをもって、しかも突然に降り始めた大粒の雨に、氷上が「どうしてこんな日に傘を忘れるんだ僕は」と憤るが先か、赤城はぐっと氷上の白い腕を握り、近くの建物に避難した。走ったところで図書館に行き着くまでに濡れネズミになることは必須だった、そういう天気だったのだから当然の判断だった。
 ことはその後におこった。今年いっぱいで取り壊されるらしい共通棟の裏口は、不気味な薄暗さを持って二人を向かい入れた。電気もつかない古ぼけた場所は裏寂しく、夏だというのにどこか寒いほどだった。その場所で、唐突に、否、氷上が「降られたなあ」と漏らした次の瞬間、赤城は言ったのだ。
「雨だから言うけれど」
という言葉を皮切りに氷上は生まれて初めて人から告白された。ずっと好きだったという陳腐でありふれた言葉は、今思うと実に赤城らしい不器用さに彩られていたが、その時には赤城らしくない言葉の選び方だと感じていた。赤城はもっとスマートな男だと思っていたからだ。だが不器用な言葉に氷上がようやっと返した言葉はもっと仕方のない「僕も」という一言だったのだから、お相子である。
 長すぎたそして重苦しすぎた片思いは、こうしてあっさりと味気なく実に簡潔に終わった。真実はいつだって単純なものだ。手品の種のように、明かされてみれば「そんなものか」という感想しか持てない地味なものだ。だがそんな落胆にもにた落ち着きとともに、二人は晴れて恋人同士としての付き合いを始めた。
 それから程なくしてやってきた秋の日に、氷上は赤城を公園へ誘った。目的のないデートなど初めてのことだった。のちになって、デートにこれといって明確な目的地など必要ないことを知ったが、その日はまだそんなことも知らなかった氷上にとって、何をするわけでもなく二人でぶらぶらするというのは非常に緊張することだった。だが実際に公園の整備された道を寄り添って歩き、ときどき休憩し缶ジュースを飲み、取留めのない話をするだけの時間は不思議なほど心地よかった。男同士、手をつなぐことも腕を組むこともできないが、それでも十分、氷上は満足していたのだ。恋焦がれた赤城と共にいるだけで、それだけで良かった。
 友情の延長にあったままごとのような恋愛だった。知り合いから友人に、友人から親友に、トントン拍子でグレードアップした二人の関係をどうしたらこれ以上高められるかを考えて「恋人」になったようなものだ。事実、共に朝を迎えることはあっても前夜にあったことはただの触りっこだけであった。品がない言葉をあえて使うならば抜きっこだ。性行為だの性交渉だのというのもおこがましいお遊びだった。けれどもやはり、氷上はそれで良かった。それで十分だと思っていた。特別な貞操観念があったわけではない。ただ、時が来ればどうにかなるだろうと楽観的にかまえていたのだ。どうにかならなかったとしても、二人はずっと共にいられるのだと、愚直に信じていた。
 二度目の秋、氷上は前年と同じように公園へ行こうと赤城を誘った。何も起きることはなく、まるで一年前と同じ映像が再生されているかのように、二人は一日を過ごした。傍から見れば仲の良い大学生二人だ。おそらく自分たちから見てもそうだった。仲の良い友人それ以上の存在ではなかった。そんなことはどちらも口にしなかった。言ってしまえば最後、すべてが無に帰してしまうことは理解していたからだ。
 もどかしさを、感じていなかったわけではない。氷上は知っている。今なお、誰よりもこの部分においては自分をわかっている。自分は確かに赤城に恋をしていた。受け入れられる前も、そしてあの夕立の日以降も、赤城に想いを寄せていた。長い時間、関係が変わってからも赤城にずっと恋をしていた。当然だ。普通の恋人同士などではなかったのだから。男同士であるという以前の話だ。自分たちの恋愛は普通のありふれたそれではなかった。定型文で始まった関係だというのに、その後はまるで違った。だがそれを受け入れたのはほかでもない自分だ。濃密な友情に砂糖をふりかけて無理やり恋愛だと思い込む、その方法を選んだのは紛れもなく氷上自身だったのだ。
 この頃には気がついていた。赤城に求めるものと赤城が求めるものの決定的な違いは浮き彫りにされていた。自分がどれほど愛しても報われないことを知っていて、知っていたにもかかわらず、何もしなかった。ただ雨がふるのを待っていた。突然の嵐に、赤城が何かを言ってくれるかもしれないという希望だけを頼りに、あの日のような夕立を氷上は待ち続けた。
 三度目の秋はこなかった。その前に二人の関係は終わっていたからだ。何があったというわけではない。何もなかった。何もなさすぎた。言葉すらなかったのだ。赤城が氷上のアパートを訪ねなくなり、共寝をすることもなくなり、デートと呼ぶにはお粗末な外出も無くなった。三年目の春先から、赤城の恋人は勉強だった。司法試験に向けて本腰を入れ始めた赤城を氷上は止めなかった。裏切りなどではない。二人の間にそれほどの信頼関係など構築されていなかったのだからあれは名前もない、取るに足らない自然現象だ。氷上とて理解していた。三年目の五月頃から、赤城は就職活動に勤しむ周囲にあからさまに焦りを見せていた。その気持ちを汲み取れないほどまでには浮世離れしていなかった氷上は、今まで可能な限り時間と金を浪費し人生はこう楽しむのだと言わんばかりに遊び呆けていた連中が、社会の歯車として生きるべく顔つきを変えていく中で、赤城も将来を見据えはじめたのだろうと、ぼんやりと思った。
 例えるならばそれは、幼稚園児がおままごとをやめる日だ。ヒーローに憧れていた少年がその夢を捨てる日だ。それが来たのは秋よりも、夏よりも先だった。
 その夏も連日うだるような暑さが続いた夏で、時には夕立が人々を癒したが、氷上にとってその雨は、豪雨は、暴雨は、遅すぎた。何もかも終わってしまった後に降る凶暴な雨は、ひたすらに氷上を蹂躙しつくし、熱を持った頭を洗い流していった。
 冷静になったふりをするコツは、一つのことに異常に打ち込んでみせることだ。子どもじみた熱を他で放ってしまえばいいと本能的に察知して、氷上は今まで以上に研究に打ち込んだ。秋の肌寒さも、冬の侘しさも、春の華やかさも、夏のうっとおしさもすべてを無視できるほどに真剣に、周囲から気味悪がられる程に、ただ自身の道を突き進む。得意分野だった。元来がそうであったのだから、そこに立ち返えるのはさほど難しくはなかった。当然、家族は心配していた。だがあのおっとりしている母さえ自分に気を使い、最終的には何も言わなくなった。「赤城くん元気?」と電話口でしつこいほどに同じことを尋ねられたのも最初だけだった。とりつかれたように勉学に没頭する息子に、高校時代のように息抜きをさせたいという心はわかっていたが、試験が近くて向こうも忙しい様子だと、やはり専門的な話ができる相手とばかりお互い話してしまうものだと煙に巻いてやり過ごした。赤城から受け取っていたものとは形は違う、けれど似た柔らかさを持った感情を受け取るための手は震えてばかりで使い物にならなかったのだ。従兄も時折アパートに来訪してくれていたが、研究室に寝泊まりするようになってからはろくに顔も合わせず、数ヶ月に一度メールで元気だと報告するだけになっていた。元から少なかった友人はそれぞれに忙しなく将来に向かって足を動かしていたし、変人と名高かった研究室の教授は氷上の勉学への熱意に、心配どころか歓びをあらわにした。彼は氷上の変化を歓迎した唯一の人間だった。
 季節がめぐりめぐってふと気が付けば、氷上は日本を離れていた。能力と執着にもにた研究心を買われ教授とともにアメリカへ飛んだ。向こうの大学院へ所属し、求められるがままそのまま研究者として大学に残った。深く考えることはしなかった。生まれ育った国を離れ、一年前に帰国するまでの約二十年間、氷上は一度も日本の土を踏まなかった。日本を恋しいと思わなかったわけではない。ふとした瞬間に家族のことを思い出し、たまには帰らないといけないなとぼんやりとは思った。決してそれが起こることがない、自分はそうはしないという確信を持っていたからこそ浮かんだ無責任な考えだ。
 遠ざけるというよりもっとおざなりに、日本という国から離れていた氷上が帰国を決めたのは、恩師の葬儀の席だった。アメリカ滞在中も本当の息子のように氷上をかわいがってくれた教授夫人に渡された奇人と呼ばれた天才からの最初で最後の手紙。そこに書いてあった「弟子」と「息子」の二文字が氷上を母国に、正しくは母校にいざなったのである。

 はばたき市に戻った時、季節はすでに冬だった。最後に公園で秋の一日を謳歌した日から、数えることさえ面倒になるほど秋は過ぎていったのだろう。同じ秋が、ずっとここで繰り返されていたのだろう。氷上と氷上が無理やり置いてけぼりにした感情を混ぜ込みながら、何もない風景はずっと流れていたはずだ。
 漸く、ようやくだ。
 氷上は自身の靴の下でくしゃりと潰れた落ち葉の感触をうっすらと感じながら大きく息をすった。秋らしい黒茶色のコーデュロイパンツのポケットには携帯電話と財布、マンションの鍵だけを入れてきた。遠い昔のように本を手に取らずに家を出た。けれども隣を歩く人物もいない。こればかりは自分の意志でどうなるものではないのだから仕方がないが、山吹色の光に照らされた玄関で一瞬だけ、彼に連絡をとってみようかと思案したのも本当のところだ。
 帰国したのは春になりかけたまだ寒い日。空港で出迎えてくれた従兄に「お元気そうですね」と不義理を詫びるより先に適当な挨拶をしたその日。彼に、赤城に電話をかけるとしたらその日しかなかった。後になればなるだけ、五十音順に整理されたアドレス帳の一番上にある番号に発信することは難しくなることは確実だった。しかし氷上はそうしなかった。怖かったのだ。もし緑のボタンを押してしまえば、その番号が使われているか否かを否応なしに知ってしまうことが、怖ろしく、とても耐え切れなかった。
 赤城が何十年も前の番号を今も使っているとは思えなかった。それも自分が知っている番号なのだ。変えているに決まっている。それにもし、万が一にでも繋がったとして、無駄なあがきか、未練のせいか、解約することのなかった自身の番号が「氷上格」という表示で彼の携帯画面に着信することなど天が逆さまになった上に太陽が西からのぼり、線路の上をマンボウが滑るように泳いだとしてもありえない話だ。もう自分と彼が生きる世界は違う。国の問題ではない。距離の問題でもない。けれどもそれが現実だ。赤城はもう、こんな風に公園を歩いたりはしない。決してしないのだ。
 実るものが多い秋。自分のささやかな願いが、いびつながらも実ったのはきっと秋の日だ。不恰好な言葉のやり取りをしたのは確かに夏だったが、あの日この並木道を歩いたときにやっと氷上は赤城と自分が恋人だと実感したのだから。けれども今は何もない。実を付けることのなくなった木、それが自分だ。だが許して欲しい。こうしてひとりで思い出すことだけは、どうか許して欲しい。
 ようやくなのだから。ずいぶん長い時間を経て、やっといま、三度目の秋を迎えられたのだから。
「おとーさん!」
 ふわりというには軽く、しかしぶわっとめくり上げるほどには強くない風が氷上の背中を押したと同時、そのぬるい風に乗ってきた声に氷上は反射的にずらりと並んだ木の向こう、自分とは縁のない家庭的な時間がゆっくりと流れているであろう芝生のピクニックスペースを見た。その刹那、後悔した。そして同じ強さで同じだけ、感謝した。
 父を呼んだ幼子に向かうひとりの男。間違いなく声の主の父親だろう。赤茶げた髪の一束がふわりと一瞬風に乗る。横顔であってもわかってしまう笑顔。懐かしい声が「はいはい」と少しだけ耳を撫でる。
 彼だ。
 ――そいつがノンケで、あんたがゲイだってだけのことじゃない。
 ふと耳の奥、異国で知り合ったパートナーと呼ぶにはお互いに放埒な関係を長いあいだ続けた異性装者の男の声が蘇る。
 今では父となった、昔の「恋人」に少しだけ似た人だった。赤茶色の髪が特によく似ていた。瞳の色は少しだけ薄すぎて、そのためにその双眸に映されることが最初は苦手だった。両親以外でははじめて「たる」という不名誉な呼称を許した相手だ。イタルと呼ぶこともあったが、大体は最初のi音は弱く発音され、どのみち「タル」と呼ばれているように聞こえた。母以外の女性とそれほど深く話を交えたことのない氷上にとって、男とも女ともつかぬその人物は、女であり男であった。そしてなにより、その人は、氷上が初めて自分の中に侵入することを許した相手であり、また体の一部を委ねた相手でもある。
 過去の出来事を話したとき「ばっからしい」という乱暴に突き放す言葉を頭にして返された言葉。赤城はゲイではなく氷上はゲイだと男は言った。
 朝、友人からのメールで知った赤城の結婚に胃の内容物がせり上がるまで飲み、ひりひりする臓器と口腔をもって無理やり二度身体を重ねた後だった。死んでしまいたいと思いながら吐き出した自分の残滓を違う手法で二回ほど受け止めた男は、体力を使いきってなお、昔の男の背中に爪をたてたかった、たてたいのだと吼える氷上の緑色の髪に、芝生を撫でるのと同じ手つきで触れながら、間違いなくきっぱりとそう言って、「世界が違うのよ。こっちがネオンの明かりなら、向こうは暖炉の火なの」とカラスよりも掠れた声でそう言った。
 異世界に住むのはどちらなのだろうか。秋空の下でひとりぼっちの自分か、それとも同じ空の下で足に絡みつく子どもの髪を撫でている彼、赤城なのか。
 死んでしまいたいとは思わない自分を氷上は不思議に思う。結婚の知らせを受けたときから、いつ何が起きてももはやどうでもいいと思うこともあった。そのたびに自分を生きることへ執着させたのはやはり研究だったが、秋が来る度に魔が差したかのように、いい日だな死ぬにはと思ったりもしたのだ。だが今は、鼻先に覆す余地のない事実を突きつけられたというのに、悲しくも悔しくも苦しくもなかった。かつては僅かにでも想像してしまえば水の中で酸素不足に陥ったかのように喉がしまったというのに、今は凪いだ海のように穏やかな自身の心は一体どうなっているのだろう。
 不安定で驚くほど薄情。それが人間の感情だ。気まぐれで虫がいい、そんなものだ。
 時間にして数十秒、氷上は親子を見、ゆっくりと足を進める。
 帰国してすぐのことだったか。敬愛する従兄に尋ねられたことがある。なぜ結婚をしないのかと、教え子たちには氷のようと例えられる怜悧な眼差しと、しち面倒くさい質問を投げかけられた。親戚のおばさま方にせっつかれたのかと問いに問いを返せば、教師らしい声色で「答えなさい」と叱られた。
 どう答えれば正解なのかとまず考えてみたが、正直に答えることが不正解であるということ以外はわからなかった。ついでに言うならば、自身の性的な対象が同性であるから日本では無理であるという模範解答も従兄の血圧を上げることにしか役に立たないであろうことは流石の氷上も理解していた。
「にいさんの真似ですよ」
 最終的に選んだのは「嘘」だった。しかも最悪な類のそれではあったが、厳しい従兄を黙らせるにはこれ以上ない言葉だった。案の定、氷上の愛する兄は、せり上がった怒りを押し返すかのように大きくため息をついたかと思うと、無言のまま席をたった。そんな従兄が洗面所から帰ってくるまでに、十五分以上の時間を要したことは笑い話のような本当の話だ。
 いま思えば、素直に答えればよかったのだ。「昔の恋を忘れられないもので」と。100%本当であるわけではないが、五割以上は真実なのだから。同じ嘘をつくならば真実を混ぜあわせてまろやかな口当たりにしておけばよかったと今さら殊勝なふりをして悔やんでみても遅すぎる。それにもしそう答えていたら、今日かぎりで嘘になってしまっただろう。昔の恋の相手を一目見て、自分の抱いていた気持ちはおおかた霧散してしまったのだから。
 惨めったらしい侘しさが、凄惨なそれがすっかり消えたとはいえない。だが、しかし、でも、だって、もう、いいのだ。

 木々の合間からいわし雲が覗いている。秋の空にだけ浮かぶ雲が、他のどの時期よりも高い空に浮かんでいる。今日は死ぬにはとびきりいい日かもしれない。いやそうに違いないが、でもまだだ。せめてこの空に星が浮かぶまで待ちたい気分なのだ。知っているというには知らなすぎる、とある親子の声を聞きながらただ夜を待っていたい。ここにいるのだと下品なほどに主張するネオンが光る時間を、それに負けじと遠い遠い場所から居場所を知らせる星々が、冷たくもみえる熱にその身を焦がしてまで輝く時間を、待っていたい。
 そうして、もし明日も、もし明日も秋ならば、電話でもかけてみようじゃないか。言えなかった言葉はまだどこにも行っていない。身体の中から逃すこともしていない。言う日などこないと思っていたが、大切にしまっておいて正解だった。明日、彼が電話に出たら名乗るより先に言おうじゃないか。空港で従兄にしたように、不躾に、言うべきことより先に言ってしまおう。ついでに自分がなぜここに舞い戻ったか、その理由を説明してやりたいという悪趣味なアイディアが頭をよぎった。瞬時に止めておこうと自分を抑える。時間ならたっぷりあるのだからこの秋に告げることは一つでいい。
 彼はすでに氷上が同じ街にいることを知っているはずだ。なんせ小高い丘の上にある喫茶店の自称永遠の看板娘はおしゃべりでおせっかいなのだ。赤城は思い出すことがあるだろうか、この公園を幼児よりも不安定に歩いた自分たちを、その長い影を。そして不安に思うだろうか。子どもの手を引く姿を見られることを、もしくは、見せつけることを。
 まずは一つ、嫌味なほ涼やかな声で、彼に伝えてやろうではないか。「おめでとう」と自分たちに相応しい滑稽なほど単純な祝辞の言葉を、積年の想いとともに。

 ざわりと木が鳴った。冷え始めた空気に、人々が足を向ける先が変わっていく。出口へと、その先の家へと人々が歩いて行く。
 燃える太陽が、その身を暖炉の火と同じ色に変わって、さようならを言うより先に一本の線をこえてしまえば嫌でも次の季節を思わせる夜が来るだろう。秋の夜は寒い。もしかしたら、しんとした冬の夜よりもどこか賑やかな涼しさは独り身には寒く感じるかもしれない。
(風邪を引くのはごめんだな)
 そう言葉にせずにひとりごち、氷上は唇で笑みを描く。
 しかし大丈夫だろう。自分は大丈夫だ。今は隣に誰がいなくとも、高い体温がなくとも、甘やかな香りがしなくとも、ぎこちない腕がなくとも、秋の夜をひとりで越える方法は、寂寞の残骸を処理する方法は、もう、知っているのだから。

 



(121011)