たしかなこと


 赤城一雪と氷上格はルームメイトである。

 一流大学にほど近いこの2LDKのアパートを赤城が見つけて来たのは、二人が高校を卒業して三日後だった。最初こそ、ルームシェアをしないかという提案に戸惑っていた氷上も、大学への通いやすさや人生経験だと言う赤城の言葉に魅力を感じたのか、はたまた丸め込まれたのか、それから更に三日後には赤城とルームシェアをすることを尊敬する従兄に報告していた。
 こうして赤城の策略通りに始まった生活は氷上にとっても赤城にとっても穏やかなものだった。今まで家庭的なことを一切したことがなかった氷上にとって、毎日は冒険にも等しく慌ただしかった。けれどもそれを受け止め、時に慰める几帳面な赤城のおかげで、今では氷上も目玉焼きの名人になっている。洗濯も掃除もそうだ。氷上は二人暮らしを始めてから出会ったすべての雑務と、それを乗り越えていく自分に満足を感じていた。
 そして赤城にとってもこの二人暮らしはまさしく幸せだった。氷上がいつでも自分の目の届くところにいてくれるというそれだけで、赤城の日々は驚くほど光に満ちあふれたものになるのである。それ知っていたからこそ赤城は氷上にルームシェアの話を持ちかけたのだ。だから赤城にとって毎日氷上がくるくると忙しなく動き回ることも、卵を焦がし、皿を割ることも、突然観葉植物を買ってくることもすべてが幸せだった。またやってしまったと失敗に落ち込む氷上を慰めるのも、植物に話しかけて笑う氷上と共に笑うのも、赤城の望んだ時間なのだ。

 朝食は二週間ごとに交代で作ることというルールを守り、二人は月に約14日間、朝キッチンに立つ。意外にも、この朝の時間を二人は大切にしていた。赤城が当番の週、氷上は新聞をめくりながら赤城が料理する音を聞くのが好きだったし、赤城は氷上が料理する姿を眺めるのが何よりも好きなのだ。そして二人は共に大学へと向かう。夕方は共に帰ることもあればサークルの付き合いでどちらかが遅くなることもある。けれども氷上は性格上、そして赤城は自分の欲望に素直なために羽目を外しすぎることもなく、自然と時計が日にちの変更を告げる前に二人のすがたはリビングに揃うのだ。二人はそこで他愛のない話をして笑いあい、時に柔らかにふれあい、それから二人は赤城のベッドで寝る。
 これは偏に赤城の努力のたまものであった。二人暮らしを始めた当初、特別な場合を除いて氷上は自室で寝ていたのだ。それをどうにかこうにか上手く言い、けれども焦らずに赤城は共に寝る日を増やしていった。じわりじわりと浸食する赤城の策略に気づかぬのか気がついてはいるが求めているために何も言わないのか、氷上は半年を過ぎた辺りから赤城がこの作戦の成功を夢見て買ったやや大きめのベッドに潜り込んでくるようになった。
 ベッドの中で二人は時に長く、時には少しだけ会話を交わした。それは他愛のない話の続きであったり、全く別の思いつきであったり、明日の予定のことであったりと様々なことを暗い室内で呟き合い、その合間に暖まった布団の中で手を握りあうこともあった。


「はなしてくれ、汗が」
「やだよ」
 赤城は汗をかいたから握った手を離してくれと訴える氷上の声に短く返し、きゅっと指に力を込めた。氷上はそれに少し拗ねたように息を吐くとごそりと仰向けから体の向きを変える。仄暗いの闇の中、赤城は氷上の金色を見つけて目を細めた。氷上の目は猫のように光ったりはしないがけれども赤城にははっきりとその色が見えるのだ。
「だめだよ、握ってたい」
「でも汗が」
「今さら汗くらいで何もないよ」
 氷上の焦りが、手汗がひどいのが不愉快だろうという心遣いであることは赤城にもわかっていた。だが赤城に言わせてみれば汗くらい何でもないのだ。それを自分たちは行為の中でそれ以上のことをしているだろうと仄めかせば、氷上の闇の中に浮いた白い頬に赤が塗られる。
「な、な、そういう問題じゃないだろう」
 動揺した氷上が無意識にぎゅうっと赤城の手を握り込む。赤城はその力のかわいらしさにひっそりと笑うと、もう一方の手で氷上の頭をゆっくりと、ひどく丁寧に撫でた。そう、家族以外からのスキンシップに慣れていない氷上を、赤城は壊れ物のように扱うのだ。氷上はそれがくすぐったくてたまらず、けれども同時に心地よくて何も言えずにいた。
 毎晩柔らかな手つきで氷上の髪を撫でる手は、今日も変わらずふんわりと髪に空気を通すと、そのまま背中に滑る。ここでようやく赤城は握っていた氷上の手を解放し、二つになった腕で氷上の背中を抱いた。
 ぴたりと寄せられた体温をもっともっとと強請るように、氷上は赤城の肩口にすり寄り、その首筋にひっそりと口づけた。ばれないように慎重に、本当に触れるだけの口づけではあったが、唇の温度を敏感にも察知した赤城は、にんまりと笑い氷上の額に口づけを返した。
「おやすみ」
「……おやすみ」
 またしてもしてやられたのかと氷上が思えば、赤城は氷上がそう思っていることを見透かした上で天然って言うのはこれだからと心の内にぼやいた。
 そうしてまどろみを深くし、互いの息づかいに包まれて眠りに落ちる。朝、何よりも先に互いの顔を見ることを望みながら。



寝室企画(101030)