アンドロイドはドッペルゲンガーの夢を見るか


 氷室零一は謎めいてた男である。整った容姿であるために憧れる女子生徒も少なくはないのだろうとは思うが、それも新入生に限ったことだろう。彼の几帳面かつ真面目な性格のゆえにもたらされる厳しい生活指導と諸考査の難問、それからいわゆるお小言のために彼への憧れはいとも簡単に崩れ去る。けれどもそれでもなお生徒の関心をひく教師であるからまったく不思議なものだ。
 そう、教会にまつわる数多い伝説の中にも彼は登場する。氷室零一アンドロイド説は数ある伝説の中でも人気のあるもののひとつだ。アンドロイドだなんてばかげていると思えども、彼の性格と行動を見ているとそれもあるかもしれないと思い始めてしまうのだ。

 そんなわけで最近ネタに飢えている我々はば学新聞部は彼を徹底追跡することになったのだが、おそらく自分はスクープと呼べるものを得てしまった。得てしまったのである。


 それは第三日曜日の夕方だった。部活の全体練習日である毎月の第三日曜、十二個あるうちのひとつであったその日、彼――氷室教諭が顧問を担当する吹奏楽も当然部活動があった。顧問の性格を反映し、まるで世界最高峰の山のように厳しいことで知られている吹奏楽部は平日にも運動部並みに練習がある部活である。
 我々が彼を徹底追跡し始めてから早一ヶ月、この日もいつもと何も変わらず彼はタクトを振っていたらしいことは音楽室担当者から「異常なし」の言葉にわかった。おそらく彼の愛するきっちりと整った音楽はたっぷり丸一日音楽室に響き渡り、夕刻、彼はほんの少し満足したような笑みを浮かべたに違いない。そして彼は部員に別れを告げ、部活を終えた彼はきびきびとしたいつも通りの動きで職員室へ立ち寄った。
 職員室付近の担当者からの「退室した。今から駐車上に向かうようだ」と言う連絡を受けたときは何でもなかった。どうせ今日も何もおこらないと、そう思っていたのだ。やたらとスクープを取ってくる部長に言わせれば何か大事があるときは勘が働く、それがブンヤというものらしいがどうやら自分にはその才はないらしい。その時も何も感じずすっかりだれきって「了解」とひとこと返したのだ。

 彼が愛車の元へやってくるまで約五分弱。早くその姿を確認して仕事を終えたいものだなどと思っていた時だった。とんでもないものを、見たのだ。

 それは黄昏を背にやってきた。そのために顔つきが確認できず最初はただの一般生徒かと思っていたくらいだ。だがすぐに制服を着用していないことに気がつき、だが教師だとしても見覚えのない服装だと訝しんでいた矢先、さっとその人物の顔に影が落ちた。
 思わず息を飲んだ。そこにいたのは彼だった。いや厳密に言えば違う。彼の髪色とは同じ印象を受ける色ではあるがそれでも色ははっきりと違っている。だがそれ以外は、きりっとした目も銀のフレームの眼鏡も、そしてその立ち振る舞いも、まるで、まるで彼だったのだ。

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 いくつもの言葉が浮かんでは消えた。ただ考えていることはただ一つ、氷室零一アンドロイド説のことだ。それも仕方がないことだろう。その彼であって彼ではない男がやってきた方向にあるのは、地下工場を有すると噂のあの教会だったのだから。
 アンドロイドだと、真剣にそう思った。今考えてみればばからしいことかもしれないがその時は本当に心からアンドロイドを見たと、そう思ったのだ。スクープだと拳を握った。ついに教会の伝説に終止符を打つときが来たと。けれどもすぐに、それは三分もしないうちに、脳内で書き上げていたスクープは塵となって消えた。なぜならばアンドロイド二号だと思われていた彼はぱっと手を上げて確かにこう言ったのだ。

「兄さん」

 澄み切った声は静かな放課後に高く響いた。氷室教諭に兄弟はいたかを瞬時に考えた。門外不出持出厳禁!新聞部マル秘データバンクを脳内でめくればすぐにいないという結論を得られた。ではきっとあれはアンドロイドだと思うこともできた。一号と二号が兄弟であるというのは、ある意味間違ってはいないことだ。けれどもその時、そうは考えられなかった。なぜならば兄さんと呼んだ青年の顔はアンドロイドにしてはあまりに華やかに笑顔を描いていたし、兄さんと呼ばれた声の先にやってきた男――氷室零一教諭は、微かに、それは本当に微細なものではあったが間違いなく笑っていたのだ。
 ある意味これも大スクープだった。新聞部員としては握ったカメラのシャッターを切るべきだったのだろう。だができなかった。あのアンドロイド一号の笑みはまるで人間のように柔らかで暖かかったのだ。それは厳格な数学教師でも、緻密さを求めすぎる吹奏楽部顧問でもない、そしてもちろんアンドロイド一号でもない氷室零一の笑顔だった。
 その笑顔のまま、彼はアンドロイド二号だと思われた青年を呼んだ。名は聞こえなかった。けれどもその名を呼んだ響きが穏やかであることは確かだった。常日頃、彼がまとっている雰囲気は信じられないほど緩やかになっていたのだ。
 一体何が起こっているのかと考えている最中だった。彼は彼を兄さんと呼んだ青年の前髪をくしゃりと握り込むようにしてそのまま頭を撫でたのだ。それも先ほどより大きな笑みを浮かべてだ。スクープもスクープだった。けれどもやはり写真を撮ることはできなかった。

 さてこれをどう処理するべきなのか……。黙っていればいいともう一人の自分が囁いた。そして自分はそれに従った。目撃者はただ一人なのだからその一人が黙っていればすべては丸く収まる。部長に、その他の仲間達に「異常なし」と報告すれば何もなかったことになるのだ。
 そうだ、だから本来ならば大量の文字を打ち込む必要のあったメールに「異常なし」の四文字だけを書いて震える指で送信した。あの瞬間から、自分はスクープを隠したその嘘を卒業まで背負うことになった。だがそれで良かったのだと、彼がご自慢のマサラティGT3000に彼によく似た青年と乗り込んむ姿を見て思った。


 彼が彼によく似た、それはドッペルゲンガーのような青年を見る目は本当に相手を愛おしんでいる目であった。もし彼が本当にアンドロイドだったとしても、孤独なアンドロイドがドッペルゲンガーに愛を与えることを誰が否定できようか。そこにある感情かはたまたプログラムが恋であれ愛であれなんであれ、きっとあれを邪魔すれば自分の末路は馬に蹴られてお陀仏だろう。



そんなに似てないというツッコミはなしで。なんだかんだ氷上視点も書きたい(100919)