単色光

 はいどうぞと求めてもいないのに出されたリンゴはウサギだった。ウサギさんリンゴとでもいうのだろうか。一体 誰が作り出したかは知らないが、きっとそいつは随分な暇人かあの人のような酷いウサギ愛好家だったに違いない。
 しかし子ども以外を相手に、それも愛人にも愛玩動物にもなりきれていない男相手にこんな手の込んだ細工をするのだ から女という生き物はわからない。「かわいいですね」「器用なんですね」とでも言ってやればいいのか。前職で培った 無駄な技術をここで発揮してやればきっと喜ぶのだろうが、正直いってそんな無意味な労働はしたくない。金になれば話は 別だが、目の前でにこにこと笑っているだけの女は、そういった類のサービスに払う金がないからこそ俺に擦り寄って くるのだから、一銭の得にもなりはしない。
「リンゴ嫌いだった? 」
「別に。それより、これ、どうやって作んの?」
 話のタネにといってもこんな話をする機会など訪れはしないだろうが、ウサギさんリンゴの造り方を尋ねると、女は ごにょごにょと不明瞭な言葉で何かを言いながらも照れたように実演して見せた。
「こんなの覚えてどうすんのぉ? あ、わかった。彼女の前でやるんだ? そうでしょ」
 女はいじらしくも精一杯に明るい様子でそんな言葉を吐いた。突然悲劇のヒロインになりきられてはこっちもたまった ものではない。面倒な状況はできる限り避けたいのだ。事態を収拾するために、どこかの下らない恋愛小説にありそうな 言葉をうんざりしながら吐き出して、女に向かって笑いかける。といっても一体自分は笑えているのか、自分の笑顔が どんなものなのか、それはさっぱりわからないのだが、深く追求しようとは思わない。実際そんなことはどうだっていい ことなのだ。効果が得られればそれでいい、笑顔や優しい言葉はその為にある、とあの人に教わったのだから。
「シャワー、浴びてくる」
 ほら見ろ。こうして万事はうまくいく。女が静々と残した古典的なセリフは、いつだって明瞭で俺に優しかった。

 こじゃれたガラスの器に盛られたリンゴにぷすりと楊枝を挿してみる。みずみずしい果実が微かな鳴き声をあげる。 楊枝の先にはウサギが一匹。何の匂いもない、何の意味も持たない空間で、ウサギは一匹楊枝に止まっている。
 あの人はウサギが好きだから、こんな風に剥いてやったらさぞかし喜ぶだろう。あの丸い丸い眼鏡の奥の、気味の悪い ほど人間離れした恐ろしい目を、優しさに歪めるだろう。ああ、見てみたい見てみたい見てみたい、が、俺があの人に リンゴを剥いてやるなんてシチュエーションはどうやったら起きるのか、考えもつかないのだから望んでも無駄なことだ。
 例えば思い切ってある日突然剥いて行って「差し入れです」なんて差し出したら不気味では済まされないだろう。そんな 行動をしている自分なんて想像がつかないが、もしそんなことをしたならば間違いなくそのウサギは柄崎さんかマサルの 胃袋で消化されるだろう。では、家に来たときに振舞えばいいかといえばそれも無理だ。俺の所に社長が来るときは もう二人とも飢えきっていてそれどころじゃない。玄関でセックスを始めようとするあの人をどうにか宥めて、ついでに それでもいいやと思っている自分の欲望も消し去って、ベッドまで足を運ぶことすら難しいのだ。いやまて、そもそも あの人はリンゴを食うのだろうか。まず第一にそれを考えるべきだ。あの人がショリショリと音をたてて、ウサギのように リンゴを食うだろうか。食う、の、だろうか。
 自然に発せられている音しか存在していなかった空間に、特徴的な風呂場のドアが開く特徴的な音が響く。 その嫌になるほど日常的な音に、ウサギリンゴはどこかに駆けていってしまった。あーあ、何やってんだろうね、俺は。
 ペタペタと水気を帯びた妖怪のような足音共に女が姿を現す。やめてくれ、ほとんど妖怪じゃないかその姿は。 あの人は怪物だが、この女は妖怪だ。あの怪物はそれでも人間らしくがっつくことがある。年相応に、湧き上がる情欲を 精一杯俺にぶつけて発散しようとする。だが、どうだろう。目の前の女は、まるで妖怪なのだ。
「高田くん?」
「あ、うん」
 妖怪の甲高い声に楊枝が震えた。楊枝にとらわれて逃げ遅れたウサギがそこで硬くなっていた。ああ、かわいそうにな。 ああ、俺のせいか。ああ、ごめんな。罪悪感というこの世で一番に性質の悪い最低な感情に囚われながらそのウサギを ガラスの世界に戻した。
 お前はきっとそこで干からびていくのだろう。からからになって、骨と皮だけになった頃には、悪臭の漂う生ゴミたち の間を泳ぐのだろう。それは全て俺のせいかもしれない。だからお前に約束しよう。明日、お前の仲間をたくさん作って やることを、約束しよう。もし明日まで、俺が、俺の体がお前を覚えていたならばの話だけれども。


ウサギカットプリーズ(071129)